近年のアメリカ合衆国における スポーツ事故の訴訟と判例の概況(2)
=危険引受の法理を中心として=
諏訪 伸夫
筑波大学体育科学系教授
危険引受の法理とスポーツ事故判例
スポーツ事故も含めて一般的に事故が発生し、事故の損害賠償責任をめぐって訴訟等により、被害者(原告)が加害者(被告)の過失(ネグリジェンス)を問う場合の要点の一つに加害者たる被告に抗弁(defenses
)となるような事由の主張・立証がないことすなわち抗弁の不存在があげられる。
カイザー(R.A.Kaiser )によれば、レクリェーションやスポーツ傷害訴訟では過失(ネグリジェンス)に対して、しばしば抗弁されるものとして、「危険の引受」(assumption
of risk )、「寄与過失」
(contributory negligence ),及び「比較過失」(comparative negligence )があるという。
まず「危険の引受」とは、「英米法辞典」によれば、「被告の過失ある行為から生じる被害の危険を任意に引き受けたとされる場合、その被害について損害賠償を請求できない、という法理に基づく抗弁」であり、「寄与過失」とは「自己の損害の発生に寄与した被害者(原告)自身の過失」であり「加害者の過失と比べて軽微なものであっても加害者(被告)の不法行為責任を全面的に阻却するもの」である。5
) また、「比較過失」とは「加害者・被害者の過失の度合いに応じて各自の不法行為責任を相対的に認定すること、その結果、被害者の過失の程度に応じて彼の取得しうる損害賠償請求額が減額されることになる。6
) 」
英米法において、「危険引受の法理」がはじめて登場したのは、18 世紀末から19 世紀はじめにかけてであり、アメリカにおいていわゆるスポーツ事故をめぐる訴訟で「危険引受の法理」が容認されたリーディングケースとしては、1913
年のクレーン事件(野球を観戦していてファールボールに当たり受傷した観客が球団を相手に損害賠償を求める訴えを起こしたが、「危険引受の法理」によって、賠償請求が認められなかった)があげられる。7
)
その後の「危険引受の法理」の動向は、1959 年にニュージャージー州が、率先して「危険引受の法理」を廃止してから、他の州が毎年それに従って廃止しはじめ、この「法理」に代わって比較過失法を制定するなどして、1968
年にはわずか7 州のみしか「比較過失の法理」を採用していなかったが、1970 年代の後半には、全米で34 州となり、1990 年には44 州が採用するようになり、近年「危険引受の法理」の後退が全米において顕著である。
その理由として、第1 に被害者が当該事故に例え、1 %でも寄与している場合、責任のある加害者から何も損害賠償を受けることができないこと、第2 に、傷害が重大な場合、陪審員は、被害者の寄与過失ないし「危険の引受」を無視して、被害者の損害賠償を図ろうとするため、法の認める被告勝訴の機会と利益を奪っていることが考えられる。
なお、「ブラック法学辞典」(Black's Law Dictionary )によれば、「危険引受の法理」により、被告の抗弁が認められるのは、次のような場合―すなわち、第1
に、原告は、関係する事柄が危険な状
態を引き起こすことがあるのを知っていた、第2 に、彼は、危険な状態におかれていることを知っていた、第3 に、彼は、その危険の性格や程度を認識していた、第4
に、彼は、自ら進んでその危険に身をさらした場合であるという8 ) 。
このような「危険の引受」の抗弁に関するこれまでの判例はかなりな数にのぼり、さらには、そのような判例も時代により、州により、裁判所により容認あるいは否認の状況が異なっているため、全米にお
ける過去から現在に至る概況を限られたスペースで紹介することは至難の技であるので、以下には代表的あるいは興味あるケースを若干紹介することでご寛恕願いたい。
[ 容認されたケース]
(なお、以下の年代は判決が出された年である)
@「ライト事件」(1951 年):スキーヤーが滑走中、雪で覆われた切り株に衝突、重傷を負う。
A「カドュー事件」(1966 年):フットボールの観戦者が、観戦中サイドライン付近で選手と衝突受傷する。
B「リンドレ―事件」(1974 年):グリーン上のプレーヤーが他のプレーヤーの打ったボールに当たり受傷する。
C「パサンティーノ事件」(1976 年):野球の試合でヘッドスライディングをした選手がキャッチャ―と激突重傷を負う。
D「タルコット事件」(1986 年):競馬の騎手が他の騎手のラフな乗馬により落馬し重傷を負う。
E「フォード事件」(1990 年):ベテランの水上スキーヤーが水路上の木の枝に衝突して頭部に重傷を負う。
[ 否認されたケース]
@「リー事件」(1958 年):大リーグを観戦していた原告〈女性69 歳〉の周囲の観客12 人が、ファールボールを捕ろうとして殺到したため、それらの人々の下敷きになり、骨折の重傷を負ったため、被告主催者等に対して損害賠償を請求した。裁判所は、被告の「危険の引受」の抗弁を認めず、3,500
ドルの損害賠償を容認した。被告は上訴したが、棄却された。
A「スティーブンス事件」(1966 年):バスケットボールの試合中、勢いあまってバスケットゴールの後ろのガラス製のドアを突き破って受傷した生徒の損害賠償請求を認め、被告に過失責任有りとして「危険の引受」の抗弁を斥けた。
B「プーク事件」(1976 年):ソフトボールの試合中、2 塁手の原告の顎に走者の左腕が当たって受傷した生徒の損害賠償を求め、被告に過失有りとして「危険の引受」の抗弁を斥けた。
C「サンデー事件」(1978 年):初心者のスキーヤーが、初心者用コースで木の小枝の塊にもつれて傷害を負った事件でヴァーモント州裁判所は「危険の引受」の抗弁を斥け、150
万ドルの損害賠償金支払いの判決を下した。
D「ラッター事件」(1981 年):タッチフットボールの一種である「ジャングルフットボール」練習中、眼を負傷した原告の訴えに対して、被告の主張した「危険引受の法理」を斥け、裁判所は「危険引受の法理」の廃止を判示した。
E「ポッター事件」(1987 年):ミニゴルフ場で原告が雑草に隠れたティーショット板を打ってしまい板が跳ね返って眼に当たり、重傷を負ったため、被告ゴルフ場の所有者に損害の賠償の訴えを起こした。裁判所は、被告の主張する
「危険の引受」の抗弁を容認した一審判決を破棄、差し戻しとした。
(注)
1 )長谷川俊明、同書、P18
2 )住友商事文書法務部「アメリカビジネス法務」有斐閣ビジネス、1989 年、pp.64 ‐67 .及び早川武夫「アメリカ法の最前線」日本評論社、1991
年、pp.192- 197.
3 )J.A.Baily and D.L.Matthews :Law and Liabilities in Athletics,Physical Education
and Recreation,Allyn and BaconInc.,1984,p.xiii .
4 )ジェームズ・A ・ミッチェナー(James A. Michener )、宮川毅訳「スポーツの危機」(Sports in America )、サイマル出版、1976
年、p.13.Johns Hopkins Injury Prevention Center :GOOD SPORTS Preventing Recreational
Injuries,1992,p.1.
5 )田中英夫編集代表「英米法辞典」東京大学出版会、1993 年、pp73 ‐74 及びp.196
6 )前掲「英米法辞典」p.172 .
7 )Cranev. Kansas City Baseball Education Co., 168 MoApp.301,303153S.W.1076,
1077 (1913 )
8 )Black's Law Dictionary.6th ed.,West Publishing Company,1990 .日本語訳は、及川伸「スポーツ事故と『危険引受の法理』」、日本スポーツ法学会年報第2
号、p.183 参照
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