指導者(コーチ)の立場と役割
インタビュー(2)

村 上 晃 史
那須Cross Sport Club代表
クロストレーニングコーチ
http://www.nasuinfo.or.jp/FreeSpace/nasucsc/
日本でトライアスロンがまだそれほど知られていないころ、トライアスロン留学のためアメリカに単独で渡り、生きた競技とコーチ業を学び帰国した。その後、数々のトップトライアスリートを育て、現在はナショナルチームジュニアコーチとして選手の指導・育成、システム作りに携わると同時に、那須高原でクロススポーツクラブを主宰し、トライアスロンの普及・発展に努める。
2000年福島で行われた
全日本の合宿に参加した
村上コーチ
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Q:トライアスロンの選手が今後世界で勝つためには何が必要ですか?
独創的な日本の技術を身につければ勝てると思います。一時は外国の理論や技術がもてはやされましたが、日本人と欧米諸国の選手では、体型・体格が違いますし、筋肉の質も違いますので、そういった技術を身につけても大して成果は現れません。例えば、効率の良い重心移動など、日本人の体型・体格に合った技術を身につけることの方が大切です。
それから、日本人の得意とする「ねばり強さ」をプラスすれば、なお一層強くなると思います。本来、日本人はメンタルの強い人種です。レースを見ていても、日本人の選手が途中で止めてしまうケースはまれです。
何かをやり遂げることに一種の道徳観を感じるのです。その精神力の強さを生かすことが大切です。しかし、その精神力も他人に植え付けられた形のものではなく、自分自身で強くして行ったものでなくてはいけません。自分の意志で決める。決めたことはやり遂げる。そういう気持ちで練習を続けていれば、精神力は強化されるはずです。
Q:コーチの立場と役割とはズバリ何ですか?
コーチとしてやることは、人格形成と自己実現をさせることだと思います。そのための後押しを上手にできる人間になることです。
他人に押しつけられた物事を機械的にこなしているだけでは、その人の人格は形成されません。自分自身で問題を提起し、その問題の解決のために突き進んでいく人間は精神的にも強くなり、また知識も豊富になって人間として成長します。そのきっかけを作ったり、解決の手助けをすることがコーチの役割です。誰しも自分一人で成長するのは難しいものです。自分が行き詰まった時など、誰か身近にアドバイスをしてくれる人がいれば心強いですね。私はその良き協力者になりたいと思っています。
主役はあくまで選手自身です。私がでしゃばることなく、自分達で方向性を見出していってもらうよう努めなくてはなりません。たとえ選手が回り道をしようとも、それは無駄ではないと考えています。方向性が見つかるまで競技を別の角度から捉えることも大切です。そうやって選手が人間として成長し、可能性をどんどん見出し、目標を実現させて行くようになって初めて、私の役割は果たせたといえるでしょう。
Q:日本のスポーツ環境について感じることは何ですか?
今の日本のスポ−ツは学校体育の延長です。
スポ−ツを「自分が続けて行くもの」と感じる人は少ないはずです。現に、学校を卒業してスポ−ツをやらなくなる人が結構多いと思いますが、その理由は、学校体育、または部活動がきつかった、または辛かったからという人が大半です。このように、私達が最初にスポ−ツを学ぶところで指導者に恵まれないというのは非常に不幸なことだと思います。
日本の政府のスポ−ツに対する考え方は、ハード面はしっかりしていますが、ソフト面があまりにも貧弱です。このままでは、国民のスポーツに対する真の文化としての理解は確立されません。今後は、学校の指導者の教育と充実、また、民間団体に経済的なサポートをして内容を改善していくなど、ソフト面及び人材を強化していくことが重要だと思います。
それからもう一つは、スポーツに関する情報が乏しいことです。諸外国では一日中スポーツだけを放映しているチャンネルがあり、メジャーなスポーツからマイナーなスポーツまで様々なスポーツを取り扱っています。それに比べ日本のメディアでは、スポーツといえば野球、サッカー、ゴルフなどメジャーなものばかりが放映されています。これではスポーツを平等に扱っているとは言えず、スポーツ文化を育てるという側面は無視されています。そして、それは見る側にスポーツを知るチャンス、また行うチャンスを与えていないことにも繋がります。
情報を収集する手段としてテレビが一番よく使われるのに、そういう情報の源ともいえるところが、偏った情報しか提供しないのは問題です。もっと情報を多様化してくべきです。そして、マイナーなスポーツでもメディアで取り扱ってもらえるような、いろいろな意味での環境整備が必要であると感じます。
今後は、私達もスポーツを単に体を鍛えたり、技を磨く手段として見るのではなく、生活を向上させる上で欠くことのできない、自然に一番近い文化として捉えていく必要があるでしょう。
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