『スポーツに生かされて』1/
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東日本実業団陸上競技連盟事務局長
大平 達夫

左:木村氏 右:広島康夫氏
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私が陸上競技に関わりを持つようになって、早や40数年の歳月が過ぎました。
振り返って見ればそれは些細な事がきっかけでした。私が通っていた中学校の運動会は他校と異なりすべての種目が代表選手制で、その中にマラソン競技(約5km)と称する種目がありました。クラスの誰も出たがらず止むを得ずクジ引きの結果、見事私が当たってしまったのです。それまでは運動らしきものは大の苦手で、特に長距離走は一番嫌いなスポーツでした。
運動会の日まで一ヶ月位あったような気がします。いやいやながら放課後、クラスの三人で練習らしき事を続けたのを覚えています。クジ引きとはいえ選ばれた代表選手による対抗戦ですから抜ける訳にもいかず、いやだなぁと思いつつ当日を迎えました。
スタート後、校庭を二周し一般道路へ出て約5km走る訳ですが、昭和28年頃の東京は、少し郊外に出れば道路も一部を除きほとんどが砂利道で、現在のような車社会には程遠くのんびりとした田園地帯が広がり車道でも自由に走れました。
クラス代表のマラソンランナー(?)とは言っても、全校で8クラス計24人の選手達が、先導の白バイならぬ、先生の自転車に先導され、クラスメイトの待つスタジアム(校庭)を目指しました。
熾烈なトップ争いを演じながら何と私がマラソンゲート(校門)をトップで通過、トラック(校庭)を一周しそのままゴールインかと思われたが、残念ながらあと一歩のところで二人に抜かれ3位でゴール。履く靴もなく裸足で砂利道を走り親指の付根を切り痛みに耐えての健闘が、その後の陸上競技界への関わりの第一歩だったのかも知れません。
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