陸上人生 心の糧(5)
初マラソン!

旭化成工業株式会社 陸上競技部コーチ
(財)日本陸連 ナショナルチームコーチ
谷 口 浩 美
今回はマラソンにどう取り組んでいったかの課程についてふれてみたいと思います。
初マラソンは、1985年2月3日別府大分毎日マラソンで2時間13分16秒の初優勝デビューでした。マラソンではスタートする前にレース全体の青写真を考えるのですが、何といっても初めてのマラソンなのでどのように走って良いのか分かりません。前日から、甘い物を食べなければいけないとか、(妻の敬子が手作りのケーキを作ってくれ、大会2日前に半分、前日に半分を食べる)また大会当日
の朝は、餅を食べなければいけないと、雑煮が朝食に出るなど、駅伝・トラックレースでは、余り気にしていなかった食事の面も、きっちりとやって行かなければいけないのだなぁーと教えられました。(グリコーゲンを貯えるカーボローディング)

1985年2月3日初マラソン
別府大分毎日マラソン優勝
2時間13分16秒 |
給水の準備もスポーツドリンクを1に対し水を2の割合で混ぜてボトルに入れて、自分のナンバーカードと給水地点を明記し、自分の物だと分かるようにと、目印を色々考えた結果、お祝い時に使うピンクのリボンを付けることにしました。また、走りながら取るためにはと、ボトルに針金でワッカを作り、手をワッカに通せば取れる様にと工夫しました(その後の大会では、ボトルが益々華やかになりすぎて、私がやったために、大変になったと言う声も聞きました)
給水をしながら走る。中学校から憧れていたマラソンがいよいよできる。レースについて注意されたのは、給水所近くになったら、左寄りに走り給水が取れる準備をする。それ以外は、中央線よりを走る。(選手間同士の接触を防ぐため)トラックレースと違い、一気のペースアップ、追いかけは禁物などいろいろな方よりアドバイスを受けながら準備。自分の大きなポイントとしては、30キロからペースアップして頑張る事でした。(84年12月福岡国際マラソンで中山竹通さん(前:ダイエー)が後半飛び出し、優勝されたのを参考に、自分も30キロ以降に飛び出そうと考えていた)また、マラソンは35キロからがきついんだとも聞いており、どうなるのだろうと不安でした。このような状況を踏まえて初マラソンのスタートとなりました。
マラソンを走ってみて、確認していくことがありました。走りながら給水を取り、お腹が痛くならないか?35キロ以降のきつさなど。給水については、お腹は痛くならなかった。35キロ以降の走りは、30キロ〜35キロを15分9秒にペースアップしたが為に、本当にこんなにもきついものかと体験できた。たとえば、苦しみながらも前へ進んでいるはずなのに僅か100mしか過ぎていない。100mがこんなにも長かったのかと。また、歩道を子供が自転車に乗って併走するが、抜かれてしまい抜き返す事が出来ない。苦しくて足が動かなくて、後ろからいつ抜かれるだろうかと言う不安一杯の中で走っていました。
本当に長かった後半の7キロであり、自分の身体がこうも動かせないものか、これがマラソンかと体験できました。
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1986年2月9日 東京国際マラソン
2時間11分42秒 7位
マラソンを甘くみて失敗。この失敗も
成功へつながる貴重な体験でした。
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さて、初マラソンが無事終了し、優勝したことで自分の周囲があまりにも変化し出しました。テレビ放送、新聞その他のマスコミにより、騒がれだし一躍ヒーロー扱いです。昨日までの私は何処へやら、こうなると人間が変わる。スター気分です!(しかし1週間だけの報道でした。次週に東京国際マラソンで宗茂、現:旭化成監督が独走優勝してしまったのです)。このような事があると、次回のマラソンに向けて練習していくときに、全てにおいて完璧に仕上げなければいけない、体調を作らなければいけないと気持ちばかりが先走りしてしまいます。大会に向けて練習して行く間、“こんなはずじゃない”もっと、もっと、と自分自身へのプレッシャーのくり返しで自分を追いかけて行くことになります。このあたりが、マラソンが他の種目と大きく違うところで大変難しい競技だと思います。ですから、2回目の挑戦で失敗する例が多いのも理解できる様な気がします。2回目のジンクスなどとも言われます。以上が、私の初マラソンの感想です。マラソンの奥深さを実体験しました。 |