陸上人生 心の糧(3)

第00006号
2002年8月23日 更新

陸上人生 心の糧(3)
大学入学から旭化成入社まで!

旭化成工業株式会社 陸上競技部コーチ
(財)日本陸連 ナショナルチームコーチ

谷 口 浩 美



大学入学とともに新しい東京での生活が始まりました。右も左も分からない自分が東京での生活と言うだけで悩まなければいけないのでしょうが、それはそれで知らないことばかりの新鮮さがあり(?)生活も、陸上、勉強(殆どやっていない?)朝夕の食事当番と毎日が必死の状況でした。

一番初めのアクシデントは、入学4ヶ月後に大学が夏休みに入り、宮崎に帰省し、母校の小林高校で後輩と一緒にインターバルの練習をした時でした。4ヶ月前までは、相手にしていなかった後輩の前
に一回も立てず、練習を引っ張ってあげるどころか、自分の走れなさにがっくりしたものでした。場所・環境が変わっただけでこうも違うものかと思い知らされました。また、高校時代に強かった選手が実業団に行っていましたが、その選手達は、アッと言う間に日本のトップに君臨しはじめ、海外遠征には行っているし、日本陸連の合宿には参加しているはで、自分と周りの同期生の違いは“月とスッポン”と言う状態で、このような状況にあると走るのをやめようかなと日々思い詰める事が多くありました。


1980年1月
箱根駅伝ゴール後


これに追い打ちをかけたのが、両足くるぶしの故障でした。病院に行って検査しても分からず靴のアーチを高くする中敷きを作成し、歩くだけの毎日が続き、ますます陸上競技から遠ざかる自分に嫌気がさして精神的に滅入るばかりでした。
ここから、自分が救われたのは、前回書きました通り原点に返るところがあったということです。
高校時代の日記を3年間見直し、外山方圀監督が赤ペンで書いてくれた言葉を全部拾いあげノートに書き出して見ました。そうすると3年間で言われた事が同じ事の繰り返しだったのです。これにはビックリしたのと、いかに3年間何も考えずにやっていたのだろうと思いました。


また、大学での練習は、主将と主務が練習スケジュールを計画し、それに沿って練習をすると言う形でした。ですから、怒られることもなく“あきらめ心”で練習していたと思います。自分の自己管理がものすごく大切なのですが、自己管理出来るまで自分自身が成長していなかった事がいけなかったのだと思います。

もう一つは、大学3年生の時に極度の貧血で悩まされたことです。400m×20本の練習の時です。ヨーイドンでスタートすると50mまではついていけるのですが、そこを過ぎると呼吸はゼーゼー、手足がしびれてきて全く前に進みません!それでも、次のスタートの時には先頭にいる、この繰り返しで走ったことがあります。原因には不規則な食生活、食事の偏り、経済的なものとたくさんあります。と同時に病院を選定する事が出来なかったと言うことです。
現在でこそ、スポーツ性貧血だと言われ薬と注射で解決出来ますが、以前は、一般的に血液検査結果が標準値のため解決できませんでした。また、専門の病院を知らなかった事も上げられると思います。


1980年1月
箱根駅伝終了後 慰労会

この状況の中で、順天堂大学と日本体育大学連合チームが、九州一周駅伝の記念大会に参加する事になりました。私も九州宮崎出身と言うこともあり、出場する事になりましたが、貧血のため全く走れません。九州一周駅伝と言うのを簡単に説明しますと、10日間で72区間、約1100kmの距離を24名の選手で一人最高4回出場出来るというものです。対戦相手チームのエース級になると、10日間で60km〜70km、2日に一回の割合で走らなければいけないのです。

この九州一周駅伝で新人コースという10.5kmの距離を走りました。結果は、旭化成の新人選手に10km足らずで2分も負けてしまい大ブレーキとなりました。走っている途中で順天堂大学監督沢木先生より“谷口頼むから、タスキを次の走者に渡してくれ”と言われ、走れない自分が情けなくて一段と足が重くなる思いでした。

九州一周駅伝終了後、再び母校の小林高校を訪問し、小林に到着するなり恩師から“病院へ行きなさい”と言われ、専門医槇(まき)先生の所へ行くと顔色を見ただけで、「貧血です」との診断で、注射と薬を飲むことになりました。その結果1 ヶ月後には、横浜の20kmロードレースで、60分10秒で走れ、今までの谷口ではないと言われました。まだまだ、自己管理が出来ないひ弱な選手だったのです。

大学と言うと今でこそ華やかさがある箱根駅伝ですが、私の頃は、NHKラジオ放送とテレビ東京がダイジェストで1時間程度の放送しかありませんでした。今では、華やかさから高校のトップ選手が随分と大学へ進むようになったと思います。箱根駅伝と言うと私は、6区箱根芦ノ湖から小田原までの区間を3年間走らせて貰いました。お陰様で3年間連続で区間賞と3・4年生で区間新を取ることが出来
ました。このように大学でのアクシデントは、少しの故障(当時は大変だった)と貧血に悩まされていた事です。

<次回へ続く>


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