小心者の道(3)

第00003号
2002年8月2日 更新

小心者の道(3)


東京女子体育大学講師
JOCアスリート委員会委員

秋山 エリカ (新体操)


  高校に入る時のことだった。「バレエを長くやっているのだったら新体操をやってみないか」と新体操部の顧問の先生が声をかけて下さった。先生のその言葉に興味を覚え早速練習を見に行くと、先輩たちがリボンやボールを持って踊っていた。「変なの」これが新体操に対する私の第一印象だった。でもせっかく誘ってくださるのだから高校3年間クラブ活動を経験するのもいいかなーと思い高校入学と同時に入部を決意した。

高校生になってそれから2か月か3か月過ぎた頃だったろうか、「辞めたい」と突然訳もなくそう思った。私は運動音痴だったのだ、ボールをやっても上手く転がせない、リボンをやっても身体中に巻きつけミイラみたいになってしまう、とにかく何から何まで上手く出来なかった。しかし、もっと情けなかったのは小心者が故に、「辞めます」の一言が言えないことであった。ずるずると新体操を続ける自分自身の心の中にモヤモヤしたものを感じながらも練習は続けていたのだが、高校2年生の頃になるとレギュラーになり、試合にも出してもらえるようになった。だが、出る試合、出る試合、全てミスをしてついには「ミス秋山」という何とも有難くないあだ名をもらう様な始末であった。やっぱり私にスポーツは向いていないんだ、そう思い高校3年生で引退を決めていた。そう思ってはいたが最後の試合ぐらいはカッコ良く決めてみようと思い一生懸命努力をした。

 そして高校最後の試合当日、鼻息も荒く私は試合のフロアーに立った。フープの演技だった、音楽がかかり踊り始める、ジャンプ、回転、一つ一つをこれが最後だと思い力一杯演技をした。そしてフープを高く投げ上げたその瞬間、アッと思った時はもうすでに遅かった。私の投げたフープは二度と私の手には戻らなかった。それどころか場外大ホームラン、観客席まで飛んで行ってしまったのだ。もうその後はどんな演技をしたのか、全く覚えていない。

 試合が終わった。やっと新体操から解放される、苦しみから解放される…幸せなはずなのに何故かやりきれない思いが残る、苦手だと思いながらも3年間続けた新体操、これが私の選手としての終わりかと思うと妙に悲しかった。

 それから数日が過ぎ私の中で変化が起きた。「一生に一度でいい、失敗しない試合がやりたい、もう一度新たな気持ちでチャレンジしてみよう」その気持ちが日に日に強まり私は大学に進学することを決意した。
 東京女子体育大学に入学して驚いたのは新体操部員が130人もいたことだ。選手として試合に出場できるのは僅か6人。高校時代に何のタイトルも無い無名の私が選ばれる確率は皆無に等しかった。しかしクラッシックバレエのテクニックが重要視されていた当時の新体操界で、幸運にも幼い頃クラッシクバレエをやっていた私は選手に選ばれたのだった。

 しかしながら私が不器用なのを見抜いた先生は新体操の基本から手解きをして下さった。私の演技はバレエの特長を活かしながらも単純で簡単なものだった。先生に無理の無い作品にして頂き私も安心して練習を行う様になれた。この時私は初めて新体操が楽しいと思った。

 私に大学生として初めての試合がやってきた。これでミスをしたらまたいつもの私だ、そう思うと手足が震えてくる。私の名前が呼ばれフロアーに立った。音楽が始まった瞬間、不思議だった。プレッシャーや怖いという感覚よりも、毎日の練習で「新体操って楽しいな」と思いながらやってきたその感覚が試合中、思い出された。そして生まれて初めて失敗しないで試合が終わり、しかもその大会でなんと優勝していた。

 試合が終わり、ふと高校3年生最後の試合で失敗して良かったなーと思った、そしてもっと良く考えるとバレエが私を助けてくれた。思えばこのバレエをはじめたきっかけは、あの自転車での事故。今、怪我に感謝している自分がそこにいた。


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