中学校の体育授業としての
水泳のスタート事故

 

損害賠償1億3,000万円の算定根拠

▼ 事故と裁判の概要

 市立中学校の体育授業で、水泳の飛び込みの練習中に、3年生の生徒が教師の指示でプールの端から妬く4m助走して飛び込む「走り飛び込み」をしたが、空中でバランスを崩し、水底に頭部を激突させて、第4頸椎骨折、頸髄損傷の傷害を負った。このため、第6頸髄筋を含めてこれ以下の部分が完全まひの状態となり、また首から下の部分は痛みを感じることができず、そのうえ排泄障害を起こし、運動機能についても床の上での体の移動やいすへの移動はできず、食事も自動具をつけてスプーンやフォークでするほかに方法がないような重廃疾となった。
 そこで被害生徒と両親、弟らが学校の設置者である市に対し、この事故は教師の指導上の注意義務違反によるものであるとして、総額約1億7,600万円の損害賠償を請求した。
 本件は、学校事故に対して1億円を超える賠償責任額として社会的に問題となり、また学校事故による被害者救済の問題ならびにその後も多発しているスタート事故対策に大きな問題を提起し、被告横浜市は被害者ならびに被害者の支援者らが早期の問題解決を求めたのに対して、最高裁まで上告した。
 横浜地裁、東京高裁も、ほとんど請求額に近い損害賠償の支払いを命じた。最高裁も、教師が指導上の注意義務を怠ったとして上告を棄却し、市に対して総額1億3,000万円の支払いを命じた。
(最高裁 昭和62年2月6日判決)
▼ 教師の指導上の注意義務違反

 「助走つき飛び込み」の指導上の注意義務違反につき裁判所は、次のように判決した。
 「指導教師はこの指導方法を工夫した理由として、生徒が飛び込む際の『けり』が弱い点を補うためであったとするが、そもそも『けり』の弱さを矯正するものとして、右方法が妥当であるか否かについても強い疑問があるうえ、仮に右方法をとることが有益であったとしても、この方法で踏切を行えば空中へは通常の場合よりも高く上がることになり、その結果、水中に深くまで侵入していきやすくなることや、踏切の方向を誤ることにより極端に高く上がってしまい、空中での身体のコントロールが不可能になることなどの危険は十分に予測しうるのである。
 したがって、指導教師には『助走つき飛び込み』法の指導を実施するにあたり、踏み切る位置、滑らないで踏み切れる場所の確保、プールの十分な深さなどについての適正な場所の設定、右指導の目的の十分な説明、前記危険を除去するための適切、丁寧な指導をなすべき注意義務が存すると認められるところ、同人は、通常の設置基準に基づいて設置された当該中学校プールで、最後部27cm、最低でも20cmの高さを有し、かつ水面側に傾斜したスタート台において、右方法についての具体的な指導を一切行うことなく生徒に『助走つき飛び込み』を試みさせたものであるから、同人が水泳の指導を行う体育教師として被害生徒の身体の安全を保護し、事故を防止すべき注意義務を怠ったことは明らかである。」
 また、指導教師が指導と本件事故発生との間には相当因果関係がないと主張したのに対しては、「被害生徒は、教師の指導に従って飛び込んだため空中で姿勢を崩し、傷害を負ったものであり、教師が指導上の注意義務を履行していたならば、本件のような重大な傷害の発生を防ぎ得たことは十分に予測しうるので、教師の義務違反と本件事故発生との間には、相当因果関係があるものというべきである」と判決は述べている。
▼ 損害賠償額の算定

 裁判所が認定した損害賠償額算定の根拠は以下のとおりである。

1.被害生徒の損害
(1)逸失利益
 被害生徒の障害の現状から労働能力を100%喪失し、終生これを回復することはほぼ不可能であることが認められる。さらに本件事故発生当時、被害生徒が満15歳の健康な男子であったこと、同人が高等学校卒業後就職して相当な収入を得られることが推認される。
 したがって、就労可能年数を被害生徒が満18歳になった昭和53年から67歳までの49年間とし、昭和53年以降の各年度の賃金センサスの産業計、企業規模計、学歴計、年齢計の平均給与額を基準として、ライプニッツ計数を用いる方式により、同人の得べかりし利益の現価を計算すると5,321万4,364円となる。
(2)付添看護費用
 被害生徒は、事故後約2年間リハビリテーション施設に入院したが、退院後も排尿・排便、食事、入浴等の行為を全く独力で行い得ず、これらの日常生活上の基本的行為全般にわたり、常に他人の付添介助を要し、この状態が終生継続すると考えられ、本人はこれまでに両親、特に母親の付添看護を受け、これ以後も両親の看護を受けざるを得ないことが認められる。そこでこの損害の額につき判断すると、本人がこのような状態にあるため、両親は四六時中付添看護をなす必要があり、その労力たるや想像に余りあること、両親が本人の存命中最後まで同人の看護を続けることができないことは十分に予見しうることなどを考慮して、職業的付添看護料金を基準とし、看護補助者の基本日給額に、時間外手当1日3時間分を加算した額をもって本人の損害とする。なお、基本日給額には、1日分の食費額が加算されているが、本件では、付添看護をなすのが両親であるのでこれを控除する。
 以上から付添看護費用の損害の現価は5,820万6,296円となる(なお、本人の残余生存可能年数は昭和55年簡易生命表によれば52年と認められるので、ライプニッツ計算法で昭和56年12月26日以降は計算し、リハビリテーション施設を退院した昭和52年9月15日から昭和56年12月25日までは各年度ごとに計算した)。
(3)療養雑費
 同人の症状に照らすと、同人は将来にわたり、健康な通常人の生活費用のほかに、紙おむつなどその症状ゆえに必要な療養雑費の出費を余儀なくされていることが認められ、その損害は1日800円をもって相当とする。
 したがって、同人の本件事故当時の残存生存可能年数を昭和55年簡易生命表により52年とし、ライプニッツ計算法でその現価を求めると、551万1,500円となる。
(4)療養のための改造費等特別出資
 療養のための家屋の改造費は590万3,320円。
(5)慰謝料
 同人の症状、回復の困難さ、同人の年齢、本件事故の態様等、諸般の事情を考慮すると、同人の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、2,000万円が相当である。

2.同人の弟の損害
 同人の弟の慰謝料の請求については、民法第711条によれば、慰謝料請求権の生じる範囲は、被害者の父母、配偶者、子に限られているので、同人弟の慰謝料の請求は失当であると排斥された。

3.両親の損害
 同人が本件事故により回復の見込みのない重大な傷害を負い両親が被った精神的苦痛は子の死にも比すべきものであり、慰謝料は各359万円が相当である。

4.弁護士費用
 弁護士費用は、原告被害生徒については1,020万円、両親については各30万円と判決は算定した。

5.損害の補填について
 すでに支払われた見舞金400万円は慰謝料の先払いとして、また日本学校安全会(現日本体育・学校健康センター)からの給付金1,500万円は損害の補填として認定された。

6.総損害額
(1)被害生徒本人
 1億3,403万円および内金1億2,383万548円に対する昭和50年7月15日から、内金1,020万円に対する昭和57年7月17日から欠く支払い済みまで年5分の割合による金額。
(2)両親
 各金380万円および内金350万円に対する昭和50年7月15日から、内金30万円に対する昭和57年7月17日から各支払い済みまで年5分の割合による金額。

▼ 本件事故の教訓

1.スタートの指導は指導者の指導の問題と施設の設置・管理の両面から研究する必要がある。
2.スタート事故を完全に防止することができないとすれば、補償対策の確立が重要である。
3.事故に際しての救急処置、緊急連絡体制の確立が重要である。