ボランティア指導者の法的責任(2)

第00002号
2002年7月19日 更新

 

〜衝撃!子供会引率者に有罪判決(2)〜

コラムニスト 平光 正則

 本題に入る前に、手元に参考資料として集められた新聞切抜きの中から水の事故に関するものを拾ってみた。
 その一つ。平成12年7月3日付け朝刊を見ると6月30日午前9時50分ごろ、T都S区K小学校のプールで、1・2年生約120人が合同で水泳の授業中、1年生の女児(6つ)がプールに浮いているのを見つけた。引き挙げて教師らが人工呼吸などの手当てをしたが、意識は戻らなかったという。
 このプールの一番深いところで、水深約120センチで、女児が発見されたところは、その付近であったと報告されている。
 これで見る限り、詳細は不明だが、まず考えられることは、▽当の女児の事前健康診断で、問題はなかったのか、▽一度に120人規模の水泳授業は適切であったか。しかも低学年の1年生であったこと、▽監視体制はどうであったのか。事故者本人が助けを求める(合図を送る)体力も瞬時にして衰退してしまったのか。また、周囲の仲間たちが、なぜ気づかなかったのか、疑問が残るばかりである。
 いま一度、安全対策のマニュアル再点検を望むところである。

 もう一例は、昨年(1999年)12月7日付朝刊の新聞切抜きを紹介してみる。
 事件は今から11年前の1989年6月30日午後のことである。T県N市のN小学校における水泳授業中のプール事故死である。
 当時4年生だった女児が、隣を泳いでいた児童と頭をぶつけた。担当の教諭は、女児の左腕が動かない様子に気づき、プール脇のテントで休めせた後、病院に運んだ。
 病院では、額の「挫傷」と診断して湿布を張るなどの治療をして、そのまま帰宅させた。
 しかし、症状が改善しないので、両親が別の病院へ連れて行ったところ、脳こうそくと診断された。そして4日後に死亡した。
 そこで、女児の両親は、T地方裁判所に女児が水泳授業中に他の児童とぶつかって死亡したのは、学校や病院が適切な処置をしなかったためだとして、市と病院に約5,500万円の損害賠償を求めた。
 N裁判長は「学校は事故を防止する注意義務を怠り、最初に診断した病院は脳障害の可能性を考え、治療可能な病院に移すべきであった」とそれぞれの過失を認め、市と最初に診断した病院に落ち度があったとして、両者に計4,000万円の支払いを命じた。

 ここでも、関係者の細心の注意が欠如していたことがうかがえる。女児は水泳中、頭をぶつけ左腕が動かない様子に気づいた時点で、119番通報して救急車で専門外科医になぜ搬送しなかったのか悔やまれる。安全対策・危機管理の初動マニュアルのいろはであるといえよう。
 一方、学校プール事故といえば、排水口への吸い込みと飛び込みの際の事故が過半数を占めているという。平成12年6月、T都O市内のT高校で、飛び込んだ1年生の男性生徒(当時15)が水底に頭を打ち付け、首の骨を折って死亡している。

 日本体育・学校健康センターの資料によると、昭和62年度から平成9年度までの11年間で飛び込みによる死亡事故は4件であるが、頚椎(けいつい)が損傷するなどして障害の残った件数は88件にのぼっている。そのうち精神・神経障害1級(神経系統の機能または精神に著しい障害を残し、常に介護を要するもの)が45件と半数以上を占めている。
 中でも中学生が最も多く半数を占めている。体格が大きくなると事故が多くなる傾向にあり、小学生より高校生に多い。飛び込み技術の未熟さや悪ふざけと共に、水底の浅さが事故の要因としては大きいと指摘の声があがっている。
 民事裁判でも、プール施設の瑕疵(かし)を認定して、指導は過失相殺という判決が定着してきている。
 そこで、東京都教育委員会では、水泳指導におけるスタート時の事故防止について、都立高に通知するとともに、プール事故の原因から事故の未然防止に向けた対策をまとめ、リーフレットに事故防止マニュアルとして、年度内にまとめたいという。

 最近のスポーツ事故(水の事故)や判例を参考にしながら、本題に入ってみたい。前回述べたが、昭和51年8月1日、M県G町のA川上流におけるT市K町Y子供会主催の野外活動中に、これに参加した小学校3年・9歳の学童(男子)がおぼれ死んだ事故である。
 ボランティア引率責任者であった女性指導者の不注意によるものであるという理由で、まず刑事事件として、過失致死で起訴された。次いで、事故死した学童の両親が損害賠償を求めた民事訴訟で、女性指導者ら責任者3人に対し、連帯して亡くなった学童の両親(原告)に526万余円を支払えと命じた、いわゆる“ボランティア責任訴訟”に注目したい。
 そこで今回は、当時の各紙では、この注目のボランティア責任訴訟判決をどう受け止めていたのか、新聞論評等を中心に、光を当ててみることにした。

 裁判を通して原告側は「ハイキングの計画段階で、監督の役割分担など十分な安全対策を検討せずに、水遊び場所を当日になって安易に変更して危険を招いた。また、川の危険場所を子ども達に徹底せず、監視体制も不十分なまま、無責任な状態で水遊びを許した」として引率者の連帯責任を主張した。
 行政サイドの県・市については「社会教育法の規定により、危険区域を指定したり、計画・引率の際の注意事項を、子供会育成者に指導する義務があるのに、これを怠った」と国家賠償法による過失責任を追及していた。
 一方、引率者側は「引率は労務の無償給付(ボランティア)だから法的にも、社会慣習からも担保責任は問われない。また、水遊びを許した場所には、“G中学水泳場”の標識があり、学校教育者の間でも安全と考えられていた。子ども3人に大人1人の割合で監視に当たり、危険な場所という認識はなく、子どもの予測しがたい行動を予測して監視するのは無理である。事故死の学童が、指示に反して危険区域に入ったために事故が起きたものである」と反論していた。
 県・市の両自治体は「子供会などの社会教育活動は、公教育と一線を画して、その主体性が尊重、保障されるべきであり、社会教育法は、そのような活動に対して、法的拘束力を持たない“指導助言行政”を規定しているだけで、具体的措置は自治体の裁量に委ねられている」と主張していた。
 この間、11回にわたる口頭弁論が開かれ、途中、裁判所の勧告で双方が和解のテーブルに着いたが、不調に終わった。

 裁判所は、賠償額の算定に当たっては「子どもは満9歳で、川遊びの危険性を自分で避けることが可能な年齢で、事故は子どもの不注意で発生したと認められる面もある」と、過失相殺の余地を認めて「無償の奉仕に支えられた活動により、法益侵害が生じた場合、業としてなされる団体活動に比べ、その違法性の程度は著しく低く、事故で生じた損害のうち、被告らの負担すべき部分は2割である」と判断している。

 子供会指導者の法的責任が認められたのは全国で初めてのケースとして注目を集めたが、これに似た事例がある。
 昭和53年7月、K県M町で、子供会が夏休みの勉強会を行うに当たって、大人の付き添いがないまま、地区の公民館で実施した際、小学1年生の男の子が、上級生とプロレスごっこをしているうち、頭を打って死亡したケースである。
 死亡した男の子の両親が、監視を怠った、として子供会担当の小学校教諭や上級生の両親、町などを相手取って訴えたが、上級生の両親と和解して、子供会の活動については、結局触れずじまいに終わったケースがあった。
 この訴訟で原告側(事故死した児童の両親)は、「事故の再発防止のため訴えただけで、真に子供のためになるような活動を願っている」といい、被告側(子供会の指導に当たったボランティアの引率責任者)は「子供の自立のための活動であり、子供が健やかに成長するために必要である」と、両者共に子供会活動の意義を認めている。
 しかし実態は、子供会を指導する人たちの多くは、小学校高学年生の親が“やむを得ず”引き受けるケースがほとんどで、率先して望んで引き受けている人は稀であるという。Y子供会も、そのようであったという。子供会指導は無償とはいえ、“自発的なボランティア”とは言えるだろうか。無償とはいえ、やや性格が異なると言う見方もでてくる。
 とはいえ、見方をかえると、世の多くの親たちは、子供会の指導者を信頼して子供を託しているわけである。
 このことからすると、子どもが死んだ場合、子供会指導者に法的責任が問えるか。あいまいのまま通り過ぎて来た“責任の領域”を初めてえぐり出した点で、この裁判所における判断に意味があり、注目されるところである。

 この事件に関するM県T地方裁判所民事部の、いわゆるボランティア責任訴訟判決をどう受け止めるべきか、昭和58年4月22日付T新聞の社説では、大要次のように論評している。
 「甚だ割り切れない判決で、引率者は11人もいるのに、その中の1人とか3人を責任代表にしてしまうことや金額の当否もさることながら、これでは善意の奉仕を踏んだりけったりするものではないかといった声が高まることは当然予想される。いざとなれば何でもカネで片をつけ、いやそうせざるを得ないという状況についても、なんだか砂をかむような味気ない、世の中になってしまったものだという慨嘆を禁じえない」と前段で述べた上で、次の要点に絞り込んでいる。
1.“公平”とはどういうことか。責任という動機の善が結果として裏目に出た場合の“責任”とは何か。
1.“気の毒”と“責任”の計量。
1. ボランティアのあり方。
 法律上の解釈ともからむが、要は責任ということをどう考えるかである。

 われわれの地域社会の生活を律するものは“しきたり”“おきて”“気くばり”と、いわば黙契の伝統であって、それが“法の支配”と二重構造になっている。このウエットをドライが調和している時はいいが、それがぶつかると、どうにも納得できない。今度もそうだ。」と、地域社会を取り巻く現状と法との関係をどう調和させるかを指摘している。
 さらに付け加えて、奉仕の灯を絶やさぬためにも、その考え方を次のように示している。
 「まず、“甘え”と善意を区別すること。これだけ尽くしているのだから、偶然の事故があったからといって“賠償を”などといわず、お互いもう少し分かり合う美風を大事にしようじゃないかといった意見は、これからは通らなくなる。理性とか合理性によって、物事を判断するよう努力すること。
 奉仕の過失責任をリーダーが身銭を切って解決するというのは、どう考えても合理的ではない。とすれば制度的に、例えば保険の充実強化などによって、感謝と慰謝を区別するような方法を考えること」と論じている。

 以上のように子供会活動に重大な影響を与えた重要判例として注目されてきたが、ここで▽引率者責任の責任▽育成会会長・同会書記の責任▽臨時に参加を求められたもの(引率者)の一般の指導者の責任▽ボランティア活動と指導者の責任▽自治体(県・市)の賠償責任▽過失相殺―等の問題点が指摘された。
 ここで伊藤堯・東京女子体育大名誉教授は、「ケーススタディSPORTS ACCIDENT」の中で、本事件のポイントとして・ボランティア活動といえども安全対策には最大限の配慮をする責任がある"社会教育活動について行政(地方公共団体)は指導・助言するが、統制はしない(事故責任は負わない)ということを理解しなければならない"事故の補償対策として、活動に適した保険に加入することが必要である―ことをあげている。

参考資料/中日新聞ほか日刊各紙、及び伊藤 堯著「ケーススタディ SPORTS ACCIDENT」  

(次回へ続く)


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