〜衝撃!子供会引率者に有罪判決(1)〜
コラムニスト 平光 正則
゛前例(スポーツ事故判例、事件・事故例)にまさる教科書なし"―過去に起きた事件・事故、判例は、スポーツに関わる私たち指導者、施設管理者、そしてスポーツをする人にとって、2度とあってはならない、起こしてはならないための良き教訓であり、教科書である。
そのためにも日頃から安全・安心のための対策、心構えが求められている。
そこで、過去のスポーツ事故を検証し、安全・安心のスポーツが日々できるようにしたい。
まず、地域や同好会のグループ(任意団体)や子ども会などの指導者、責任者に関わるスポーツ事故から検証してみたい。
「T簡裁、Tの子供会活動事故死『引率者に有罪判決』「奉仕活動でも責任、被告に罰金刑」これは日刊紙夕刊1面トップを飾った見出しである。昭和54年(1979年)12月6日のことであった。
翌日朝刊には追っかけて「Tの子供会水死事故に有罪判決『“善意の奉仕”に衝撃、今後どうすれば、関係者に重い“足かせ”に戸惑い』」
そして、4年後「T地裁判決『ボランティア、民事も敗訴』「子供会活動での児童水死『引率者に賠償責任』注意義務怠った〜被告11人中、幹部3人に計526万円支払え」「子供会での死亡事故『指導者に賠償責任』T地裁、526万円支払い命令〜監視不十分だった 注意義務厳しく問う」 昭和58年(1983年)4月21日付け日刊紙夕刊1面トップの見出しである。
つまり「子供会に対する善意無償の奉仕活動といえども、過失責任は免れない」という検察側の主張をほぼ認め、求刑通り罰金5万円の有罪判決を言い渡した。このように、子供会活動中の事故に対するボランティア引率者の刑事責任に裁判所が判断を示したのは、全国で初めてであった。
従って、この日の夜は、当事者は勿論のこと、社会教育団体やボランティア(奉仕活動)関係者に衝撃が走った。
これでは「ボランティア活動が萎縮する」「子供会の世話をするだけで大変なのに、何かあったら罰金を取られたり、損害賠償をしなけりゃいけないの…」と、子供会活動に黄色信号が上がったのだ。
当時、地元・T市教育長であったNさんは、新聞社の質問に応え「ご両親の気持ちは察するが、今後のボランティア活動が萎縮することなど大きく影響するだろう。子供会活動は学校での教育とともに必要不可欠なもの。萎縮することのないよう切望する…。」と語っている。
また、野外活動での事故は、保護者、本人の責任という同意書をとって活動している当時、G県K町子供会育成協議会副会長・Aさんは「子ども達のことを考え、無償で奉仕している善意の人たちに全部責任を負えというのはひどい。判決ではことなかれ主義になる恐れがあり、これでは活動できない。一つ間違うと、えんぴつや物指しでも凶器になる危険があり、子供会の世話役を引き受ける人がいなくなるだろう」と、重い“足かせ”に戸惑いを見せた。
そこで、事故当時を振り返ってみると―。
昭和51年8月1日、その日の日本列島は、北日本の一部を除いて真夏の太陽がギラギラ照りつけ、うだるような暑さであった。最高気温はGで35.3度とこの日全国一をマークしたほか、事故現場のTは34.8度を指し、各地で今年の最高を記録した。このため、山、海水浴場やプールなどの水辺は涼を求める人でごったがえし、人出も最高。水の犠牲者は、全国で死者47人、行方不明14人とこの夏最悪の事態となったのがこの日である。
T市A小学校でつくっているY子供会は、M県G町のA川渓谷ハイキングを計画、実行に移した。児童30人とOBの中学生6人が育成会会員11人に引率されて渓谷に入った。
引率者の同県職員・女性さんは、育成会役員ではなかったが、地元に住み、日ごろからボランティアとして子供会の相談を受けており、この日の引率者となった。
一行は、S橋上流約100メートルのA川の川岸で昼食をとり、その後始末をしていた午後1時20〜30分ごろ、会社員の長男・Hちゃん(当時8歳・A小1年)が足を滑らせ、あっという間に、水深約2メートルの深みに沈んでいるのを、同行していた同町・会社員男性が発見、110番通報した。駆けつけたT警察署員らが助け上げて、人工呼吸をしたが、既に死亡していた。付き添ってきた大人たちも昼食の後始末に追われ、子ども達の監視体制がゆるんだ、ほんの僅かの時の出来事であった。
当時この事故を調べたT警察署は同年11月、川遊びの監視体制が不十分だったとして、Tさんら4人の引率者を過失致死の疑いでT区検に書類送検した。
T区検は1年以上検討の末に、引率者は―
1. 保母資格を持つ子供会指導の専門家で、ハイキングの最高責任者である。
1. 事前に川の様子を調べておく注意義務があったのに、これを怠った。
1. 川遊びの許可も、Tさんの独断で、他の引率者に監督を頼まなかった。
―などと判断した。
この結果、昭和52年12月には、引率者の女性のみを過失致死罪で起訴した。
T簡裁では、昭和53年3月の初公判以来、17回の公判が開廷された。
この間、弁護側は「ボランティアの引率者に必要以上の注意義務を科すのは、子供会活動を不可能にする。起訴は公訴権の乱用である」と免訴の判決を要求した。
さらに、引率者の過失責任について「引率者は育成会の正式な役員ではなく、助言者に過ぎない」し、「事故は規律を守らなかった子ども自身の責任である」と引率者・Tさんの責任を否定した。
その上、水死した児童(Hちゃん)の司法解剖が行われていない点をついて「死因は、検察官の主張する水死というよりも心臓マヒによる可能性が強い」と主張した。
これに対し検察側は「善意の奉仕活動であっても、責任を伴って初めて意義がある」と反論して、罰金刑を求刑した。
一方、この刑事裁判の進行に合わせて、これより先、7月25日にHちゃんの両親・Kさん、Nさんは、引率に当たった11人全員と、M県、T市を相手取り総額5000万円の損害賠償を求める民事訴訟をT地裁に起こしている。
本件の子供会活動中の事故で引率者の刑事責任が問われたのは全国でも初めてで注目された。
これに危機感を覚えた全国子供会連合会では「子供会を育てる善意の芽をつぶすことになる」と初公判以来、Tさんの無罪要求運動を展開したのであった。
このように、子供会活動におけるボランティアの責任範囲を巡って論議を呼んだのである。
T地裁で引率者3人の過失責任を認めた判決が言い渡されたTのボランティア裁判で、訴えられたY子供会の関係者は、同じ町内で原告・被告に分かれ裁判で争ったことのわだかまりは小さくない。昭和54年12月の刑事有罪判決のショックに続く58年4月の民事裁判は、海や川での活動を避ける後遺症が残った。不幸な事故の与えたキズは尾を引いた。
その現われとして、判決のあった1年前の昭和57年の夏休み、Y子供会の子ども達36人は、T市K町のZ寺に集まってお経を習った。この年の8月1日が、水死したHちゃんの七回忌に当たり、子供会主催の合同法要が営まれることになっていたからだという。同会では年忌に当たる年ごとの夏休みに、全員で読経習得を会のテーマにしているほどであった。つまり子供会に与えた後遺症が如何に大きかったかである。
この当時、住職のTさんは「このような事故を繰り返さないという趣旨で引き受けました。子供用にやさしく書かれた教本を使って教えました。今まではHちゃんを知らない後輩の子ども達が大半ですが、みんな真剣です」と話していたことが報道されている。この子供会の活動に事故死した児童(Hちゃん)の両親は「とても感謝しています」と評価していた。
当のY子供会は、昭和50年6月に発足している。子供会活動は比較的、T市は盛んであったから後発組といえる。市内とはいえ、郊外の農村地帯だったせいもあるが、結成して1年2ヶ月後の水死事故であった。
「事故直後は育成会の役員のなり手はなくなるし、子ども達もショックで活動する気持ちは失せた」のが事故後の状況であった。子供会解散の話も出たほどであった。
事故後は、T市内の他の子供会活動に影響が出てきた。行事のたびに「事故が起きても責任はとらない」と、参加申込書に書き入れたり、旅行会社に計画を一任するなど、子供会活動<社会教育活動>に背を向けるようになってきた。子ども達に冒険をさせて、たくましく育てようとは思うが、本音と建前は違う後遺症が随所にみられるようになったという。
“有罪判決による地域社会の崩壊”とまでいわれた事態は避けられたが、関係者に流れた“心のキズ”は容易に癒すことは難しく時間はかかった。
資料/伊藤堯著「ケーススタディ スポーツアクシデント」(体育施設出版)
及び朝日新聞ほか日刊各紙を参考
(次回へ続く)
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