悲しみの中に開ける世界
−わが子を亡くしたTさんの思い出−

念仏者 大 石 法 夫
私は戦時中、水中特攻兵器である人間魚雷「回天」の搭乗員でした。訓練を重ねながら出撃を待つ日々は、人間に生まれてきた意味を問う日々でもありました。そして思いもかけなかった終戦。その後、浄土真宗の僧侶である師との出遇いがあり、私は仏道修行の道を歩み始めました。
求道生活が始まって数年たったころです。Tさんというおばあさんが参詣されるようになりました。当時の私は三十歳くらい、Tさんは六十代後半だったでしょうか。
師はTさんを大切にされ、定例法座の前座で話すよう、しばしば指名されました。Tさんは次のような話を何度か語られました。
Tさんはご主人の仕事の関係で、若いころ九州のある町に住んでおられました。夏のことです。
市営プールに友達と出かけた小学生の息子さんが、夕方になっても帰ってきません。心配になったTさんは一緒に行った何人かの友達に尋ねましたが、知らないという返事ばかりです。
Tさんはプールに行き、残っていた管理人さんに事情を話しました。しかし、管理人さんは「プールの利用時間が終わった後、いつものように見回ったが誰もいなかった」と、そっけない
態度だったそうです。Tさんは息子が立ち寄りそうな場所を探し回りますが、見つかりません。
そのうち胸騒ぎを抑えきれず、プールに引き返しました。
管理人さんに頼み込んで入口のカギを開けてもらい、一緒にプールサイドから水中を点検したところ、隅の方に子供が沈んでいるのを発見しました。時間がたっています。息を吹き返すことはありませんでした。
葬式を済ませて、Tさん夫妻は話し合われたそうです。Tさんはご主人に「管理人さんを決して責めないようにしましょう」と言われました。
ご主人は「お前に言われなくても、そのつもりだ」とお答えになったそうです。それどころか「管理人さんも苦しんでおられるに違いない」ということで、お詫びに行こうということになりました。
戦前のことです。ご主人は羽織、はかまを身に着け、ご夫妻で管理人さんの家を訪ねました。管理人さんは夫婦の訪問を受けて、責任を追求するために押しかけてきたと思い、身構えたそうです。しかし、Tさん夫妻は「私たちの業が深いので、あの子はこんな死に方をしたのです。あなたには大変ご迷惑をおかけしました。許してください」。
そう言って、お詫びのしるしとして購入してきたYシャツを差し出されました。
身構えていた管理人さんは、常識では計れないTさんの言動を、最初はいぶかしく思ったことでしょう。しかし、Tさん夫妻の態度の底に流れるものが伝わったのでしょう。管理人さんは板の間に正座し、Tさん夫妻に対して両手をつかれました。
そして「私も今まで浄土真宗のお話をきかせてもらっていました。しかし真宗の教えがこんなに深いとは知りませんでした。Tさん、これから私に仏法の話をきかせてください」と言われました。
Tさんはその後、九州のその町を離れ、郷里の広島に帰られました。そこで私の師との縁があったのです。
Tさんご夫妻は、それより以前、もう一人の息子さんが自殺するという体験をされています。それが仏法をきくきっかけになられたのでしょう。
深い境地になっておられたからこそ、追い討ちをかけるようなプールでの事故に際して、打ちひしがれた感情の中にありながら、ああいう態度になったのです。
涙を流しながら法座で語られるTさんの姿を、今も鮮明に覚えています。「仏様の教えがあったからこそ」とおっしゃっていました。私の師は「Tさんの話は何度聞いてもありがたいのう」と口にしておられました。
一言申し添えます。Tさんのお言葉の中に「業」という語句が出てきます。「前世の報い」とか「前世のたたり」などの意味に解釈して、「あの人は業が深い」などと使うケースがありますが、こういう言い方自体、根本的に違うのです。そもそも「業が深い」という言い方は、他の人に対して使う言葉ではないのです、私自身のことを申し上げます。「どうにもなるものではない。心の一起一滅も、肉体の一息々々も」。これが実感です。人間として生まれたときから背負っている業と言ってもいいでしょう。師に出遇い、教えに導かれ、その一点を深く掘り下げるうちに、自他の対立を超えた広い光明の天地
が開かれてきたのです。
私の恩人の一人であるTさんが亡くなられて、既に三十年余りたちます。 |